酒造りもうひとつの戦い Homeコラム>酒造りもうひとつの戦い
 よく、酒造りは、その仕事がよく戦いのようだと例えられるます。たしかに、早朝から仕事がはじまり、水仕事を含む重労働の存在は、一種の戦いのようでもあります。また一本、一本の仕込みはそれぞれ、勝負事のようでもあります。しかし今回は、それを支えるもうひとつの戦いの話です。
  酒造りの作業は、午前4時前から始まりますが、5時からの蒸し米の処理が終わり、午前7時より朝食になります。そのためには、午前6時くらいから朝食の支度をしなければなりません。ですから、蔵人さんよりは、朝寝坊出来ても起床は5時前になります。
 朝食の後片付けをすませると蔵人さんのお風呂を洗ったりする作業もあります。ほっとする閑もなく昼食の準備となります。
 午後には、食材の買出しもあります。他の蔵の包装や出荷の手伝いもあります。夕ご飯は、蔵人のいちばんの楽しみなので力を入れて作ります。献立は普通と特に変わらない家庭料理ですが、夕には、毎日ちかくお刺身がでます。(志太泉で単にお刺身といえばまぐろの赤身の事です)。最後の仕上げにはお燗酒の準備もします。夕ご飯のはじまりは午後5時で早いですが、後かたづけまですると午後7時半頃にはなってしまいます。
 蔵人さんの出身の南部(岩手県)や能登(石川県)と静岡では、味付けや食生活も違うし、また蔵人も若い人から、高齢の方までおられます。食の好みも違う人を対象に毎日、献立を用意していくのはなかなか大変です。この仕事は、交代の休みはもありますし、他の人も手伝いますが、基本的には一人で責任をもって一冬一日も欠かさず勤め上げる仕事です。これは、蔵人の酒造りという戦いを支えるとても大切な仕事で戦いと言っても過言ではないかと思います。
 かつては、出稼ぎの杜氏集団と共に、家事全般をするおばさん(先代によると炊き《かしき》と呼ばれた)が同郷からいっしょにやってきた時代もあったようです。この原稿をはじめて書いた2001年ごろは、たまに炊きのおばさんの存在を耳に入る事がありましたが、2010年にはほとんど聞かなくなりました。
 逆に、今は宅配の給食を活用する蔵も増えています。志太泉も交代の時にたまには給食も利用します。効率を考えれば、その方がよいでしょう。しかし、志太泉では、蔵人さんへの感謝も込めて、三度の食事を作るのも欠かせない仕事だと考えています。
 
[2001.7月初稿 2010.07改稿]