地方蔵の未納税取引の小史

 日本の製造業の強さ(最近はめっきり聞かなくなりましたが)、例えばトヨタの強さは下請けの強さといわれます。はたして、日本酒の世界に下請けはあるのでしょうか?
 日本酒の世界にも下請けはあります。いわゆる業界用語では桶売りとか未納税移出と呼ばれております。一般的には、お酒の足りないA蔵の要請でB蔵が原酒を製造し、A蔵が自社ブランドとして出荷するOEM生産のようなものです。しかし通常はA蔵はいくつかの蔵から集めたお酒をブレンドして出荷しますので、B蔵はA蔵のお酒を飲んだとき自社の酒の味を実感出来るとはいえません。車や電化製品でいえば、例えば、トヨタの○○のミラーはすべて実はわが社が製造しているとか、優れたブランドを支えている下請け企業には、誇りがある事は容易に想像できます。それに対し、前述の通り酒の個性が薄れる日本酒の桶売りでは、あまり誇れる事でもないように感じられます。
 当社でも、Gという御蔵に未納税移出しておりました。私自身はほとんど記憶にありませんが、タンクローリーが来て春と秋にお酒を運んでいたようです。Gという御蔵は、未納税蔵に対する指導が厳しく、蔵元や杜氏に講習を施し、貯蔵法を指導していました。貯蔵法に関していえば、当時は常温保存が普通であった時代に夏場の冷蔵保存を指導し、引き取りに当たっても、アルコール度や酸度の厳しい基準があったようです。現在は、よく、灘、伏見の大メーカーと地酒蔵といういかにも対立するカテゴリーのように扱われがちですが、地酒蔵も糊口をしのぐという意味合いだけではなく技術的にも灘伏見のメーカーに恩義を感じている蔵も少なくありません。
 当時は、灘や伏見ブランドに対する消費者は絶大な信頼があり、真偽のほどは今はわかりませんが、現社長に言わせると志太泉がGというブランドメーカーに未納税移出していた事や引取り単価が相場より高かった事は非常に満足であったとの事です。むろん、自社ブランドで出荷出来ない根本的に悲哀がこもったプライドではあります。
 日本酒の出荷は、昭和48年にピークをむかえ、その後は一貫して減少しています。お酒が足りないこそ成立した未納税取引も少しずつその前提を失い減少していきました。その際、物流コストの高い遠隔地より未納税取引は打ち切られていきました。相対的に灘、伏見より遠い静岡の志太泉においては昭和50年代はじめに未納税取引が終焉を迎えました。当時、全体の生産量の3割程度が未納税移出だったようです。但し、この危機が逆に吟醸酒への特化という方向性を蔵に持たせるのであります。

 [初稿2002.8.29]

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