一升瓶をめぐる一考察(下)

 それでは個人的な、一升瓶に対する思いですが、単純に一升瓶は好きです。
 一升瓶「かたち」は、形状として完成された美があるように感じています。高さ(縦)と直径(横)のバランスとか,酒の注ぎやすさぎやすさとか、古典的な肩ラベルと胴ラベルの配列とか、だてに長年容器の主役だったわけではないでしょう。あと「いろ」遮光は意味を含め茶色が好きです。
 ここからは、全く余談ですが、個性的なカラフルな瓶形での展開は、本来リサイクルとは相反します。蔵としてエコロジカルな方向性を志向するのであれば、なるべく瓶もなるべくリサイクルできるものを使用した方が良いだろうし、逆にボトルの面白さを追求するのであれば、(自戒&自悔を込めて)「当蔵はファンション性追求のためエコロジカルな方向性は否定します」。と宣言すればいいのに、そこが大人の世界の複雑な所でしょうか。高級なこだわりをもった酒ほどパッケージの意匠を凝らすのは自然なことだし、贈答品を持って行く時、はだかの瓶でもっていくのも日本人のとしての(?)礼儀を欠くような気もします。
 現時点では、志太泉も多くのワンウェイ瓶を含む包装材料を使用しています。志太泉は、将来的な蔵の方向性を考えた場合、なるべく、瓶はリサイクルできるものを使用し、時代後れになろうとも一升瓶はなるべく使用していきたいです。デザイン的なものはラベルであそんでいきたいと考えています。

P.S 瓶を回収もまた大変だし、問題点もあります。またの機会に書きます。

[初稿2000.5.6 改稿2002.5.6]

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