地酒蔵にとっての地元とは 藤枝編 その1

 地酒 その土地で生産される酒。その土地特有の酒。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

 地酒の元々の意味は前掲のとおり、その土地特有の酒であった。しかし現在ではこの語義は半分ぐらいしか現実をあらわしていない。その理由をこれから書いていきたい。
 物流が未整備の時代には、地酒蔵は極めてせまい地域にゆるやかな販売テリトリーを持って共存していた。第二次大戦前であれば、地方都市藤枝であれば半径3キロ位に一件の酒蔵があっても経営が成り立ったような感じを受ける。重量品である酒を輸送するという事は、江戸時代でいえば灘から江戸へ船で送るような巨大な供給元と需要先という物流の外の地方都市においては、おそらく非常に不効率な作業だったのだろう。
 戦後は移動容器としての瓶や移動手段のトラックの普及により、より市場は大きくなってきたが、全国で極端に主要4社のシェアが違わないビール市場と違い日本酒の市場は地方により全く様相の異なるいわば局地戦であった。藤枝市においても志太泉は蔵のある山間の酒屋と昔の宿場のある商店街の酒屋と蔵の番頭さんが独立して始めた酒屋ぐらいの極めてせまい販売先に売り残りは未納税移出と呼ばれる下請け業で生計を立ててきた。
 藤枝の日本酒市場は、昭和50年代までは大手メーカーの酒(これもけっこう面白い事にその地方によってその地方の問屋さんの推す酒があるので地方性がある)と地酒メーカーの酒の奇妙な均衡によって成り立っていた。ただこの市場は昔でいう2級酒の市場であった。吟醸酒の出荷は細々としたものであったにしても量的には非常に少なかった。
 昭和50年代後半、蔵としてずっと取り組んでいた吟譲造りが、静岡県吟醸の隆盛とともに開花し、突然首都圏の吟醸酒市場というのが、志太泉にとって出現した。これが志太泉にとっての市場の二重性のはじまりである。また似た様な事が時は前後するが多くの日本酒蔵の起きる事になる。

[初稿2004.1.23]